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「古典を好きになる」こそ最強の武器!古典に親しむ意義を再確認した取材でした

 

 年を跨いでしまったが、『週刊東洋経済』(2022年12月10日号)に本園が実践している古典教育に関する記事が掲載された。経済誌に園の教育が掲載されるのは珍しいことだが、実は2度目である。前回は7年前に「教育の経済学」の特集の中に「独自の音感教育で集中力・理解力を磨く」という見出しでミュージックステップの効果が紹介されたが、今回は古典である。しかも特集のタイトルは「武器としての名著」。誌面をめくると著名な研究者・経営者などが古典を紐解くことが混迷の時代を見通す知見にいかに役立つか、を論じている頁が続く。そんな中、本園の教育内容が一頁を占めるのは畏れ多いと共に、大変有難いことである。これは理事長が常々申している事だが、「幼児教育がメディアから注目されることは近年ほとんどない。あるとすれば不慮の事故や不祥事、社会問題などばかり。教育も立派な経済活動の一つであり、こうした経済誌から幼児教育に脚光が当たり評価を受けることは大変意義深い。」と手前味噌ながら私も感じている。
 さて、この記事は11月に記者・ライターの2名が来園・取材したものだが、3時間ほどのひと時でも誌面では収まらない気付きや発見があったので、ここで紹介したい。取材当日は、年中・年長のクラスの様子を見て頂いたが、お二人とも園児達が論語や俳句、百人一首、名文などを元気よく音読している姿を見て大変驚かれていた。「皆が元気よく積極的に読んでいる」「正直、古典を音読させる、聞くと厳しい園なのかと想像していたが、実際は子供達も生き生きとしていますね」などの感想が漏れる。特におっしゃっていたのが「読めることを楽しんでやっているのが姿からも分かる」の声。訊けば記者の方は、文学系院卒で古代史を研究されていた方で、一児の母でもあるとのこと。どおりで話が分かるわけだ、と感じた。
教室での見学の後、園長室で古典教育の意義についてインタビューを受ける。話をするうちに、私個人の今までの古典に触れてきた経験が一気に蘇る。かなり私的なエピソードが続くが、できるだけ割愛して紹介するので、少々お付き合い願いたい。

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 私も30年以上前に本園で石井式国語教育を受ける中で様々な名文朗誦を経験した。記憶はないが、3歳の頃には論語のカードを持ち、自分で指差しをしながら音読していた様子がビデオで残っている。歌留多は決して得意な方ではなく、3歳下の妹に負けて泣き喚いて両親が苦笑する姿を覚えている。それでも、漢字ばかり書いているような漢文や長い古文が読める(というか覚えている)こと自体が周囲から褒められるので、大変得意気になっていたようである。進学した小学校では、たまたま素読(古文の朗誦)が授業であったので、意味は部分的にしか分からずとも「十七条憲法」「韓非子」「漢詩」「平家物語」「太平記」などを皆で楽しく読んだ。この頃には俳句ならこの句が好き、百人一首ならこの歌…と少しずつ子供ながらに古典に親近感を持つ気持ちが育っていたように感じる。中学では本格的に古文・漢文が始まったが、文法などをあまり気にせずとも内容がスラスラと頭に入る感覚があった(これが英語にも活かせたら更に良かったと思う)。高校では和歌を専門とする先生がおり、その先生の趣味なのだろう、修学旅行で大伴家持の越中万葉(※万葉集の中で家持が越中国に赴任していた時に作られた歌)の地を巡った。これも先生の趣味なのだろうが、修学旅行前に一人ひとりに家持の歌を割り振り、そこに節・メロディを付けて歌ったものをテープに録って提出させる、というなかなか男子校にはハードルの高い課題が課せられた。周囲の友人がさも恥ずかしそうに、そして厭そうに歌うテープが流れる中、私は大真面目に作曲した歌を腹声で歌い上げて提出したために、クラスの代表に選ばれてしまった。歌が詠まれたとされる現地で120人の男子高校生が私作の歌を合唱するという罰ゲームを受けたのも、今となっては良い思い出である。そして、大学は経済学部に進学しながらも、過去を扱う経済史という歴史分野に歩みを進めることになった(なってしまった、とも言える)。

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 さて、これまで私個人の古典に関する思い出を恥ずかし気もなくつらつらと書き連ねた訳だが、やはり最も自分史上最もインパクトがあったと思うのは、やはり幼少期の体験なのである。そもそも、幼少期で古典に対して親しみを持っていなければ、その後に続くエピソードはなかったであろう。記事中に出てくる関西圏に転居した元園児のように、旅行先の古典に出てきた地名が現れれば「ここであの和歌の作者はこんな景色を観たのかな」などと感じることが出来るのは、やはり古典を知っている者が持つ特別な景色のように感じる。勿論、後から興味を持って知ることは幾らでもできるが、私が特別と思うのはやはり「何の苦もなく」古典に親しめたことが大変大きかったように思う。読者の中にも、古文・漢文を活用(下二段活用の已然形など)や訓点(レ点や上中下点など)に外国語のように勉強した苦い思い出のある方も多いだろう。私も文法が得意な訳ではなかったが、何となく「知っている」「意味が分かる」というのは大きな強みで読むうちに慣れてくるのを感じたものである。また、たとえ意味が分からずに丸暗記していた文章であったとしても、後々に再び出合った時に「そうだったのか!」という驚きと気付きは、私の記憶に鮮烈に残るものがあった。
 丸暗記の話に及んだので、その意義についても触れておく。そもそも古典の学習は書かれていることの解釈・理解だけに重きを置くのは間違いである。なぜなら、解釈は「誰かがこう理解した」というのを聞かされているだけに過ぎないからである。例えば、百人一首に多く登場する恋歌の意味を幼稚園児に教えたとしても、「好き」と「恋」の違いが理解できないのは当然であろう。よって、意味を教えたとしても幼稚園児に合わせた理解の範疇で教えることになるし、それを理解できるかは人それぞれである。しかし、古典の丸暗記である素読(音読)はその制約はない。昭和の著名な評論家である小林秀雄と数学者岡潔の対談集『人間の建設』の中にも「素読教育の必要」という話題がある。一部を引用すると、「暗記するだけで意味がわからなければ、無意味なことだと言うが、それでは「論語」の意味とはなんでしょう。それは人により年齢により、さまざまな意味にとれるものでしょう。一生かかったってわからない意味さえ含んでいるかもしれない。それなら意味を教えることは、実に曖昧な教育だとわかるでしょう。」「「論語」はまずなにを措いても、「万葉」の歌と同じように意味を孕んだ「すがた」なのです。古典はみんな動かせない「すがた」です。その「すがた」に親しませるという大事なことを素読教育が果たしたと考えればよい。「すがた」には親しませるということが出来るだけで、「すがた」を理解させることはできない。とすれば、「すがた」の教育の方法は、素読的方法以外には理論上ないはずです。」と論じている。小林秀雄流の回りくどい論法だが、主張には大変納得感がある。そうした教育効果を先人達は体験的に理解していたので、近代までの日本人は学習の基礎を素読により身につけたのだろう。

◇ ◆ ◇ ◆

 こうした話を熱を込めて語っていると、あっという間に取材の時間は過ぎていった。最後に取材中のやり取りの中で盛り上がったのは、国語教育の「古典」軽視への危機感である。誌面にも「漱石『こころ』を学ばない高校生」の見出しでその実情が記されている。近年、文部科学省は「実用」重視の国語教育を標榜し、国語教育の改革に取り組んでいる。その中で注目されたのが、大学入試センターが作問した大学入学共通テストの試作問題である。問題を見てみると、SDG’sに関する報告書や統計など6つの資料と照合して読解する問題や、「日本語の言葉遣い」のリポートについて、3つの資料を読み穴埋めなどをする内容である。こうした内容に、現役の国語科教員の中には「問われるのはデータ拾いの速さで、これを国語のテストに入れる必要はあるのだろうか」(進学校国語科教員)など戸惑いの声が挙がっているという。こうしたシフトが起こったのは、新学習指導要領の国語に「実用的な文章」が加わり、「実社会に必要な国語の知識や技能」を問うのが目標となったためだ。その分、隅に追いやられたのが古文・漢文・小説であり、特に小説は時間がかかる分今まで定番であった芥川の『羅生門』や漱石の『こころ』をじっくり取り組む時間がない、とのことだった。
 この話を聞いて、私もテストの試作問題を覗いてみた。管見の限りでは、まるで日本語版TOEICかTOEFLである。これらの試験は母語が英語でない人の英語能力を測るテストだが、今回の大学入学共通テストに出題される「論理国語」系の問題は、主に日本人を対象としている筈である。確かに『A.I. vs 教科書の読めない子どもたち』(著:新井紀子)が明らかにしたように、実は中学校を卒業する段階で、教科書レベルの文章すら正しく読めないという読解力不足の子が約3割、という衝撃的なデータを考慮すると、最低限の力を付けるべき、との主張に理解できる部分もある。また、教育政策には財界の要望や、世論の動向が少なからず反映されている面もあるし、社会の変化に合わせて教育内容を変えていくべき必要性があることも認める。しかし、論理国語の学習によって「A.I.に負けない」は達成できても、「A.I.に勝る」ためには文学・古典を面白がる文化的な素養が不可欠であると私は信じる。むしろ今後A.I.時代が本格化するにあたって、新たな問いを生み出したり、少ない事例の中から新たな枠組みをデザインするなどのひらめきなど改めて人間らしい知的活動が重要である筈である。つまり、古典に親しむことは先人達が培ってきた人類の知恵に学ぶことであり、その意義はA.I.時代を迎えても色褪せることはない。また、こうした知的生産活動に直接役立たなくとも、古典を知ることは単純に楽しいことである。いずみの卒業生が通う才能育み教室では、名文を朗誦する「音読コンテスト」を実施しているが、歌舞伎の「白浪五人男」の日本駄右衛門に成りきって見得を切ったり、口上「ガマの油」を啖呵売のように捲し立てたり、と小学生が生き生きと演じている。こうした楽しみは覚えるほど何度も音読した者だけが達せられる感覚である。半年先、1年先の利益を上げなくてはいけないIT経営者や、“タイパ(タイムパフォーマンス)重視”の若者、他の意見を聞かずに「ハイ、論破!」と切り捨てるだけの著名人には理解の及ばないものだろうが、そこには養老孟子流に言えば厳然たる「バカの壁」が存在している。やる者だけが分かる、それが古典の面白さなのである。やや説教臭い結びとなったが、幼児期に古典に触れることの意義を今後も熱心に発信していきたいと思いを新たにした取材でした。皆さん、古典を子供と一緒に楽しみましょう!

 
 
 
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